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今を語る、明日を生きる

人生の旅立ちとは心の花向けこそが唯一

 地球が自分と関係することをどこまで考察できるのか、このことは現在の自分がどのように生きて来たかを語る取り組みが理解出来ているかにかかっているのを捉えると見えてくるのです。これを表現すると点─線─面─球と思考力が広がり地球までの視点が生まれてきます。

 これを更に究明すると宇宙が見えてくるのです。点から三百六十度の円周をきちんと捉えると地球が見えるのはそのためなのです。安倍総理はそこを俗事につなげたのです。

 安倍総理がかつて「私の家庭教師は平沢勝栄さんだが、もし平沢勝栄さんでなければ私は東大の法科を卒業していたと思います」とジョークを語っていた時代があります。昨年四大学(成蹊、学習院、武蔵、成城大学)の体育競技が成蹊大学で開催されましたが、そこで私は成城大学卓球部を代表しての挨拶を所望され、その時のスピーチでこの項目を取り上げました。 「安倍総理は成蹊大学法科を卒業されたので総理大臣まで昇進されたのです。東大では総理に昇進されるのは困難に出会って出来なかったと思料します。成蹊大学だったからこそ今日の総理大臣が誕生したのです。成城大学は羽田孜氏、武蔵は宮沢喜一氏、学習院は麻生太郎氏が総理に就任されているのです。」

 当時の麻生太郎総理をお祝いに伺うことにして福岡県人会会長がお訪ねのアポイントを取ったら、五月中旬の四時三十分から五時まで三十分の時間でした。始め四人でしたが、訪問の時間のときは九名迄増えたのです。 また、羽田内閣は六十二日と短かったのですが、これは心に伝わる情景があったのです。私の恩師である成城高校の穂積重正先生はこの短い内閣に対して「なりたくてもなれないのが総理大臣」と明快に語られましたが、その時の穂積先生の情熱にこれだけ熱い熱い思いを受けた総理は今までの歴史の中でこの羽田孜総理をおいていなかったと言えるのです。

 まさに拍手を贈る心は純粋以外無いのです。穂積先生は矢野弾を武蔵境の日赤病院に呼ばれ「後はよろしく」と平成二十九年十一月二十日旅立ちをされたのです。まさか駆け出しの私を葬儀委員長に任命されるとは驚きでした。父、矢野酉雄もまた昭和四十四年十一月二十日に旅立ちされました。二方の命日が同じとは心に刻まれます。

矢野 弾 2020年6月25日

 
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